日本人?アーハン。

 

1日一便のグレイハウンドバスに乗りメンフィスから一路ミシシッピー大学へ。初めての海外のバス停、初めての海外のハイウェイ、初めての地平線、初めてだらけが続いたのちに映画に出て来るアメリカの田舎町に降りた。外は息が白くなるくらいの寒さでバス停はアメリカにしては小さいバス停。そこには古いコカコーラの自動販売機 、鋳物の古いストーブがあって、心がほっこりするような暖かさがそこにはあった。

ATTの公衆電話からピポパポと電話を鳴らし、大学から貰った手紙にあった先生の電話番号にかけた。マイネームイズと話し始めると先生は英語の喋られない留学生が来た事を理解したらしくゆっくりと話始めた。話の30%くらい分かった。どうやらバス停まで迎えに来るらしいと言うことみたいだった。10分ほど待っていると丸々太ったおばさんがすごく大きなアメ車から降りて来て僕に手を振って来る。これ絶対俺に振ってるような〜と思い、外に出てみると、そのおばさんがやはり先生で、ナイス トゥ ミート ユウなどの挨拶を交わした。一方的な話で(察するに「よく来たな〜」「食べ物食べた?」などの話)もひととおり終わり、一路キャンパスに向かった。キャンパスに着いてカバンを置くとそのまま日用品を買うためにスーパーに行った。確かWall Mart(アメリカ最大の小売チェーン)に行ったように思う。毛布、カムフォチャー、シーツを買って荷物を置いた寮にまい戻る。戻る途中で先生は大学には日本人がいて的な話をしていて、僕は分からないなりに「アーハン」などの相槌をとりあえず、打って俺アメリカ人じゃん感満載で、分かってる感満載。どうやら寮には日本人が居るので会おう的な事を言っているらしい。それも留学生は女の子だと。なるほどなるほど「アーハン」を連続しているところで寮に到着。先生が電話を掛けてその留学生を呼んでいる。どうやら繋がったようでその日本人女子学生達はもうすぐ来るらしい。2,3分 待っていると比較的小さな黒人とその人より少し大きくて太った黒人男性がやって来て、先生と話をし出した。「なんだ知り合いか〜。」と思っていたら、先生が振り向いて太郎紹介したいんだけどと言って来る。「えらい黒い日本人やな〜。もしかしてハーフ?」と思いながら自己紹介をした。「近くで見るとホント真っ黒でハーフ違うな〜」と思い、唯一知っている英語のフレーズ、誰もが好きなあのフレーズを言ってみた。“Where are you from?”そうすると相手は”Haiti”と返答した。社会も他の教科と同様に勉強もしていなかったので、全く分からなかったけど、きっと黒人が住んでるどっかの国っていうことぐらいしか分かんなかったら悪いと思い必殺”Uh-han”を言ってまるで知っている程にしておいた。その後、先生がペラペラと喋る事をGuess訳すると、「日本人の生徒がこの大学にいる。でも彼女達はどうやら旅行に行っている。ナウ。で、その女の子達と仲の良いドミニカ人を紹介したのよ。」どうやらこの事は来る途中の車のなかで説明したけど的な話もしている。アーハン。

 

このHaitiの人達(ジャック、エジドラ)とは仲良くなり、留学生活でいろんな世話をして貰いよい友人になった。

留学一歩目

ミシシッピの大学とは当時はEmaiがなかったので最低着くのに1週間かかるエアーメールで入学の準備、ビザ取得必要書類などのやり取りをした。やりとりの返信の中で「空港の近くにホテルがあるので、そこで一泊し、朝5時のバスにのり、大学近くの街まで来てください。その後、記載の電話番号にかけていただけると私がバス停まで迎えに行きます。」という文面があったので、それを信じ大阪の伊丹空港の海外向けターミナルに向かった。友人20名くらいが見送りに来てくれて僕もアメリカに渡って成功(?)するんだという勇んだ気持ちでアメリカに向かったことを鮮明に覚えている。ロサンゼルスを経由してミシシッピの大学から一番近い空港のメンフィス空港に向かった。初めての米国本土、初めての一人で乗り換え、初めてづくし疲れていて機内ではぐっすり寝れた。やっとこさ、メンフィスに着くとすでに時間は19時くらい、飛行場を出ようとした時には8時近くになっていたと思う。

 

「ホ、ホテルがない!」初めて米国の本土に来た初めての言葉がこれ。あれだけ受け取ったエアーメール(国際郵便)に空港の近くにホテルがあるって書いてあったのに。「飛行場を出ると、そこは駐車場だった」的な感じになっていた。まずは落ち着いて尿意があるのでトイレに行き、もしや今晩はここで一晩過ごすの〜😲と思いながら、取り敢えず、ホテルが近くにあるのを聞こうと、行き交う人に自分の100パーセントの英語、20パーセントの正解率の英語で「俺、今日、ホテルに泊まりたい。どこホテルある?」と聞いた。もちろんこんな英語なので、何人かに無視されてしまった。暫くすると、逞しい身体のいかにも軍人です。私嘘つかない。というような人がこっちに歩いて来た。チャーンスとばかりにこの人を捕まえ「俺、今日、ホテルに泊まりたい。どこホテルある?」を言ってみた。結果、その軍人さん、空港にあるホテルの予約場所に連れてってくれた。そこでなんやらかんやら言われ、どうやらホテルは予約できたよう。予約場所のお姉さんが言うにはホテル行くにはリムジンなんちゃらとかんちゃらがあるのでと説明され、「流石アメリカ〜あの長い車のリムジでホテルに向かうのか〜」と思い、勇んで駐車場に行くと何とそこにはボコボコになって、汚れたバンしかな〜い。「これの何がリムジンだー」と思いながら運転手に聞いたところどうやらそれはリムジンバスというもので、近くにあるホテルを回って客を送る送迎バスだった。「あー夢のリムジンはどこに行った〜」とバスに乗って待っていると、10分程度でバスは満員になり、近くのホテルに向かった。日本の感覚の「近く」だと歩いていける距離もしくは空港に隣接していてという感じだけど、アメリカの近くはホテルということなので、20分程度バスに乗ってもまだ着かない。30分くらい乗って他の人のホテルに着き、僕のホテルにはそれから20分くらい乗ったところでやっと「近い」定義されているホテルに着いた。その時日本の距離の感覚がアメリカのそれとは違うんだな〜と感じた。また、後年当時大学の寮で知り合った知人とシカゴに行くこと決定。彼らからは「シカゴは近いから」と言われ、一緒に車に乗った。けれども、待てど暮らせど一向にシカゴに着く様子がない。結局大学からシカゴに行くのに8時間程度掛かってついた。やはりアメリカの近いは日本の近いとスケールが違うのをまた味わった。

 

アメリカ、日本同じ意味の言葉があるけれど人の文化やバックグラウンドによっていろんな事が違い、まったく変わってくるんだなーと思った初めての瞬間がこの時だった。

 

ミシシッピの大学とはエアーメール(当時はEmaiがなかったので最低着くのに1週間)でのやり取りをした。そのメールの中で「空港の近くにホテルがあるので、そこで一泊し、朝5時のバスにのり、大学まで来てください。その後、こちらの電話番号にかけていただくと私がバス停まで迎えに行きます。」という文面があったので、それを信じ大阪の伊丹空港に向かった。その時、友人20名くらいが見送りに来てくれて僕もアメリカに渡るんだという勇んだ気持ちがあったことを鮮明に覚えている。



「ホ、ホテルがない!」初めて米国の本土に来た初めての言葉がこれ。あれだけ受け取ったエアーメール(国際郵便)に空港の近くにホテルがあるって書いてあったのに。「飛行場を出ると、そこは駐車場だった」的な感じになっていた。まずは落ち着いて尿意があるのでトイレに行き、もしや今晩はここで一晩過ごすの〜😲と思いながら、取り敢えず、ホテルが近くにあるのを聞こうと、行き交う人に自分の100パーセントの英語、20パーセントの正解率の英語で「本日、ホテルに泊まりたい。どこにホテルアル」と何人かに無視された後、逞しい身体のいかにも軍人です。私嘘つかない。というような人が向かいから歩いて来た。チャーンスとばかりにこの人を捕まえ練習したそのセリフを言ってみた。結果、その兄ちゃん空港にあるホテルの予約場所連れってってくれた。そこでなんやらリムジンなんちゃらとか言っているのを聞き。「流石アメリカ〜リムジンジャーン」と思い、駐車場に行くと何とそこにはボコボコの汚れたバンしかな〜い。これが何がリムジンだーと思いながら運転手に聞いたところどうやらそれはリムジンバスというもので、近くにあるホテルを回って客を送る送迎バスだった。バスは満員になり、送迎バスに乗りいざ近くのホテルに向かった。近くのホテルということなので、10分、15分もすれば着くのかと思っていたけれど、全然着かない。40分くらい乗ったところでやっと目的の近いホテルに着いた。日本の距離の感覚がアメリカのそれとは違うんだな〜と感じた。

 

#その何年後に当時入っていた寮の知人とシカゴに行くこと決定。大学からシカゴに行くのに4,5時間掛かるところをその知人達は「近い,近い」と言っていた。

留学すれば英語がしゃべれる?!

長く英語を使って仕事をしていると留学をしていた人に多く会う。または留学していた人と仕事を一緒にした人と会う。僕は英語ができなかったので、アメリカ人の子供も英語をしゃべるんだから現地に行けば英語を喋れるようになると思っていた。一部分その考えはあっている。英語を多く聞いてそして多く英語を話すことで英語力は上がる。でも留学していたから英語を一般的にしゃべれるようになるとは限らない。なぜか?それはアメリカ人の子供は四六時中英語を聞いて、しゃべるチャンスがある。それに子供が表現方法を間違えると両親が英語を直してくれる。

留学生はどうかというと、まず子供のようなチャームがない。なので誰も声をかけてくれない。そして英語が変なので誰もすすんで話をしてくれない。それに変な発音なんで何を言っているのか分かりにくいなどなど。こんな理由なので留学生は英語を聞く時間も話をする時間もアメリカの子供より圧倒的に少ない。その時間差をどのように埋めていくのかを考えてそして実行することで英語を喋れるようになる。

僕もいろいろなアプローチでここを克服した。例を挙げると、

  • 英語の単語量を増やすためにポケット辞典を持ってあたり構わず知らない単語が視界に入ってきたらとりあえず調べるそして単語を単語帳の書き込む
  • できないけど、英語で考えるようにする。例えば、テレビ見た。と日本語で頭で考えると自分の頭の中で「I watched a TV.」と考えるようにする。
  • パーティとかに言って、とりあえず人と話をするようにする。
  • 自分の興味、得意な分野の人と接触する。
  • 日本人以外の友人を作る

などなどいろいろな工夫そしてスキルが必要になってくる。

例えば、パーティで人と話をする時なんかは英語もしゃべらないので、どのフレーズを言えるようにするとかを考えて事前に覚えるとか、または人と気安く話をするように自分の殻をやぶるとか。僕の場合、いろいろ試したけど一番よかったのは自分の趣味を通じて知人を作ったことだと思う。自分の趣味なのである程度のことは知っている。そして僕の場合陶芸だったので、ある程度パフォーマンスを見せると人はどうするの?などと質問をしてくれそこから、自分の知っている単語もしくはそこで単語を教えてもらって英語力が増した。後年、いろいろな分野で転職をして思ったのが、分野分野で使用する単語が違う。その分野の単語そして背景を理解できればその仕事をする上での言い回しさえできるようになれば、仕事をするレベルの英語ならなんとかなるので、それでいろんな業界を渡って来ました。

 

話を元に戻して、留学をすると英語がしゃべられるということなのですがそれは正だと思うけど、二重丸じゃなく1重丸。正確に言うと1重丸だけどみんなができるものじゃないと思う。ある意味自分を開拓できる人にとっては丸。それ以外はバツになってしまう。僕の知人で某有名大学に入学した人でTOEFLの得点は高いけど、英語がしゃべられない人もいたり、ある転職先で上司が以前の職場で米国大学卒業した人を雇ったけど英語しゃべられなかった人がいたので、なぜ僕がしゃべられるのか聞いて来た上司がいた。こうやって英語を使う仕事を転職していくと会社から海外支店で働いていた割に皆目英語が喋られない人がいたりとか、本当にひとそれぞれです。今インターネットで英語を学ぼうと思えば簡単にできるし、また海外の方も多く日本で働いているので友人になる機会も多いと思う。僕の前の同僚で飲みに行くところで海外の方と仲良くなってそれで英語をしゃべられるようになって英語を使って仕事をしている人もいたので、本当にひとそれぞれ英語を習得する方法があるのだと思う次第です。

留学先を選ぶ

僕が留学をすることを決めた時、米国大学入学には英語の試験(TOEFL)そして大学によりSATという日本の大学入学共通テストが必須のところがあった。英語で問題を解くSATは英語のできない僕にとってはかなりハードルは高く、取り急ぎアメリカの大学に入学したかった僕は、SATが必須科目になっている大学は「無理」と諦め、TOEFLだけを必須にしている大学に絞った。しかし、しかし、,僕の場合英語はいたって不得意だったので、TOEFLだけ受験必須にしている大学もかなりハードルが高いと思っていた。初めてのTOEFL受験が自分の身の程知らずを更に知ることになった。当時はアメリカは僕の夢の国だったので(ネズミーランドの夢の国の意味ではなく)留学に関しては夢に向かう一つのステップのようで意気揚々していたけれど、この時だけは、留学生活本当に大丈夫なの?と自分で思ったほどだった。

 

通常大学に直に入学でできない人はまず大学付属の英語学校に入学して英語力をつけてから大学入学する道がある。僕の場合状況としては大学に直入学の道はまったく無く、まずはアメリカで英語の勉強をするしか無かった。今なら日本はいろいろな国とワーキングホリデーの提携を結んでいるので、ワーキングホリデーに行って英語力を高めてから大学に行く方法もある。でもこの選択肢は諸刃の剣で、英語を喋られない人に対しては英語を使う仕事は与えられない。なので大体は肉体労働、今ならインターネットを使った仕事とか日本のお客様に対する電話サポートとかあるかも知れない。ラッキーで英語を駆使するデスクワークを与えられることは少ない。結果、上記の状況で学べる英語は非常に限られている。仕事以外のところで英語力を鍛える意思の強さそしてすごいコミュニケーション能力が高い人、頭が良い人で英語をしゃべられる人(この手の人は言わずと知れた海外に行かなくても英語を喋られるようになる人)のこの3者しかないと思う。

 

余談しすぎたので、話を元にもどすと、そんなこんなでアメリカにある英語学校を探すことなった。僕の場合留学のシンプルに「英語を喋られるようになりたい!」だった。その目標にそって何を基準に英語学校を選択した方が良いかというのを考えた。自分なりに考えた答えが、

1)日本人が少ないところ(理由は日本人が多いと日本語をしゃべり、英語が上達しないから)

2)授業料が安いところ(親元を離れ、授業料そして寮費などを払ってもらうのにできるだけお金はかけたく無かった。)

 

後年、友人たちと話をしていた時、留学の際に何を必須条件としたかを聞くと以下のような内容が挙げられた。

  • 人々がフレンドリーで英語をしゃべる良い環境がある
  • 日本人に対する偏見がない
  • 標準的な英語が身につく
  • 都会で日本と変わらないような生活ができるところ

などなどだった。

もし上記の選択条件を僕も使用していたならミシシッピーには行かなかったように思う。なぜかというと、ミシシッピーは米国の南部にありがちな保守的で白人至上主義、人々は見かけはフレンドリーだけれどもそこには言語の壁以外の人種の壁があった。それに英語は南部なまりがひどく、喋り方もスローでかなり田舎者そして頭が悪い感じの英語だから。米国には大きく分けて4つの英語圏に分かれてます。

東部ーーーボストンアクセントに代表される格式がある英語で少しイギリス英語に近い感じ

南部ーーー上記のとおり喋り方もスローでかなり田舎者そして頭が悪い感じの英語

西部ーーーカリフォルニアに代表される英語で黄色人種が人口に占める割合が多いせいか我々日本人にはかなり聞きやすい英語

中西部ーーーアメリカの標準語と言われている。以前、知人の説明では東、西の人が混じり合う地点なのでちょうど中間になっていった。

そんなこんな事を知らない当時の僕は近くの書店で留学雑誌を購入し英語学校の紹介ページを隅々まで読みそして自分の条件に合う学校を5つ選んだ。確か全ての学校は南部、中西部の学校だったと思う。その中から返答が来たのが2つの大学。そして返答が早く、そして積極的だったのがミシシッピーの大学だった。大学に入ってアメリカ人の学生と話をしたところ、「スキーをしたい」「やっぱり常夏が好き」というように大学を選択する人もいるようだった。アメリカは何ってたって個人主義なんで他の人がどう思うかというのが少ないようだった。今思うとその人の目的に一番合った場所を選ぶのが良いと思う。

 

社会人になって米国のいろんな州に留学していた人と会いますが、ほんと人それぞれ動機があり、行く場所によって会う人も違ってくるので、ここはホント大事なところ。陸上する為カンザスに行った人、ヘリコプターの免許取得の為に行った人。何をしたいかハッキリしていた。僕はそんなやりたいことは分からなかったけど「英語を喋られる人間」になりたいだけだった。今から思うとこれはある意味正解なのかも知れないけど、決して二重丸の正確ではないように思う。